*この記事は旧KŌSAの記事を再掲載しています。
伝統工芸の世界へ新規参入!新たな地でチャレンジする日々
伝統産業の衰退がきっかけとなり、新たなチャレンジを歩むことになったのは30代の半を過ぎたころ。少年のような透き通った眼差しを持ちながらも、丁寧で淡々とした物腰の齋藤さんは、心に秘めた信念と共に、トライアンドエラーを繰り返しながら新たな和紙の可能性を探しています。
第6回目のインタビューは、伊予国大洲の手漉和紙に異国の伝統技法をミックスさせる和紙メーカー「五十崎社中」。愛媛県内子町五十崎の工房を訪ねて、代表の齋藤宏之さんに話をうかがいました。
大洲の地から世界へ羽ばたけ!手漉和紙の衰退と再生
樹齢250年の榎の木が守る清流小田川が育んだ大洲(五十崎)和紙は、人々の暮らしに根付いた伝統産業として発展しました。古くは平安時代に編纂された「延喜式」にも、伊予国(愛媛県)は紙の産地として名を連ねています。
女性職人によって漉かれる大洲和紙は、地元で採れる楮や三椏が原材料となり、匠の技によって生み出される繊細で優しい風合いが魅力です。このような美しい素地を持つ大洲でIターン起業を始めた齋藤さんですが、この地にどのような想いがあるのでしょうか?
ー 平安時代を起源とする大洲和紙の産業について教えてください。
齋藤:
愛媛県の伝統工芸品は、砥部焼と大洲和紙の2種類です。そのひとつである大洲和紙は、江戸時代中期ころから大洲藩の主要な財源として繁栄し、主に書道半紙や障子紙を製造していました。しかし、戦後は大王製紙などの機械会社に移行する方が多く、手漉和紙の産業が衰退してしまったんです。職人さんもかなり高齢化していまい、あと数年後には手漉和紙がなくなってしまう、、、と危機感を持った地元有志が集まって、和紙を盛り上げる活動を始めたんですね。今から20年くらい前のことなのですが、僕は途中から参加しました。
ー 齋藤さんはIターン起業だと聞いていますが、どのようなご縁があったのですか?
齋藤:僕はもともと東京でIT系の会社を始める準備をしていたんですよ。当時はホリエモンが人気で、僕もIT長者を目指して一旗揚げようと思っていました。でも、義理の父親からこの手漉和紙の活動を聞いてすごく興味を持ったんです。アナログな産業だったので全然知らなかったのですが、それがきっかけとなって伝統産業という僕にとって新しい世界に飛び込むことになりました。矛先は変わりましたが、世界を舞台に仕事をしたいという想いはぶれていなかったので。
ー 現在、どのような体制で和紙製品の制作に取り組んでいますか?
齋藤:
和紙は天神産紙という手漉和紙工場の職人さんが一枚いくらという出来高制で作っていて、うちの会社は手漉和紙を使って新しいプロダクトを作っています。職人さんは紙を作る作業でいっぱいなので、なかなか新しいことに取り組めないんですね。うちがそこをフォローをすれば、まだまだ可能性があるのではないかと。もともと弊社は天神産紙の需要を喚起するところからスタートしたので、需要が増えれば雇用も増えますし、産業として成り立っていくのではないかと。
異文化が融合する新しい和紙のかたち
キラリと輝くエレガントな模様と、ふんわりとした和紙独特の趣を持つギルディング和紙は、ヨーロッパの伝統技法である金箔装飾を大洲の手漉和紙に施したものです。フランスの壁紙デザイナー ガボー・ウルヴィツキさんと大洲の地が出会い、世界に誇れるオンリーワンの技法を使った新しい和紙のかたちが誕生しました。
「ガボーさんとの出会いがなかったら、僕はここへ来ていないかもしれない」
と語る齋藤さんは、ガボーさんに弟子入りをしてギルディングの技法を習得しました。そんな齋藤さんが考える新しい和紙の可能性とは?ギルディング和紙の開発について話をうかがいました。
ー 平安時代を起源とする大洲和紙の産業について教えてください。
齋藤:
愛媛県の伝統工芸品は、砥部焼と大洲和紙の2種類です。そのひとつである大洲和紙は、江戸時代中期ころから大洲藩の主要な財源として繁栄し、主に書道半紙や障子紙を製造していました。しかし、戦後は大王製紙などの機械会社に移行する方が多く、手漉和紙の産業が衰退してしまったんです。職人さんもかなり高齢化していまい、あと数年後には手漉和紙がなくなってしまう、、、と危機感を持った地元有志が集まって、和紙を盛り上げる活動を始めたんですね。今から20年くらい前のことなのですが、僕は途中から参加しました。
ー 齋藤さんはIターン起業だと聞いていますが、どのようなご縁があったのですか?
齋藤:
僕はもともと東京でIT系の会社を始める準備をしていたんですよ。当時はホリエモンが人気で、僕もIT長者を目指して一旗揚げようと思っていました。でも、義理の父親からこの手漉和紙の活動を聞いてすごく興味を持ったんです。アナログな産業だったので全然知らなかったのですが、それがきっかけとなって伝統産業という僕にとって新しい世界に飛び込むことになりました。矛先は変わりましたが、世界を舞台に仕事をしたいという想いはぶれていなかったので。
ー 現在、どのような体制で和紙製品の制作に取り組んでいますか?
齋藤:
和紙は天神産紙という手漉和紙工場の職人さんが一枚いくらという出来高制で作っていて、うちの会社は手漉和紙を使って新しいプロダクトを作っています。職人さんは紙を作る作業でいっぱいなので、なかなか新しいことに取り組めないんですね。うちがそこをフォローをすれば、まだまだ可能性があるのではないかと。もともと弊社は天神産紙の需要を喚起するところからスタートしたので、需要が増えれば雇用も増えますし、産業として成り立っていくのではないかと。
日進月歩する五十崎社中
伝統産業に吹き込む新しい風「五十崎社中」は、坂本龍馬が日本で初めて作った株式会社「亀山社中」をオマージュして名付けられました。今まさに、伝統産業界の海援隊として世界を舞台に羽ばたこうとしています。日本古来の紙漉文化にアレンジを加えることで見事に生まれ変わった現代の大洲和紙。
最後に、大洲和紙の未来についてうかがいました。
ー 今後はどのような活動をしていきたいですか?
齋藤:
日々楽しく制作していますが知名度はまだまだなので、展示会などを通じて世間に知ってもらうことが目下のやるべきことなのかなと。それと並行して、毎年少しずつ面白いものも作っていきたいですね。ギルディングの柄を作り変えたり、新しい商品ラインアップを作ったりとかね。そこをしっかり情報発信していければ、意外とやっていけるんじゃないかと思っています。そして、高岡や燕三条でやっているような産地工場見学などを企画して、もっともっと町を活性化できたらいいなと思っています。
株式会社五十崎社中
本事業で高付加価値製品の開発・製造・販売により利益を創出し五十崎和紙の新用途、和紙産業の活性化を広く国内外にアピールしたいと考えております。それによって<人>の交流を活発にし、人材を確保することで既存産業を持続可能な形へと改善を目指します。また、株式会社として利益を追求する事で、地域の雇用を生み人材の育成を図る=<社会貢献>を経営理念としております。
手漉き和紙をはじめとする、内子・愛媛、そして日本のもつ伝統技術から創造される商品を開発、国内外へ製造販売する事で無限の可能性を秘めた世界市場を舞台に素晴らしき日本文化伝統を世界へ発信したいと思います。
www.ikazaki.jp